曲を創ること①ある夏の思い出
また一年が終わりそうです。
毎年、年賀状を書き終えると少し余裕のある時間が出来ます。
そこで今年もどんな曲を書いたのかなと振り返ることが出来ました。
思い出せば夏・・・ある顧問の先生の催促・督促に耐えながら7月5日に脱稿することが出来ました。随分久しぶりに吹奏楽のオリジナルを書きました(たぶん10年ぶりくらいでしょう)。しかし生徒にとっては一回きりのコンクールの曲で責任重大にもかかわらず、本番の三週間前に書き上がり、生徒や顧問の先生にとってはハッキリ言って「犯罪」だったことでしょう。
しかしながら結果としてよい演奏をしていただき、(コンクールだったので)次大会の代表にもなることが出来ました。このときが曲を書いた者として「至福の時」です。この瞬間があるので、実は苦しい作業にもかかわらず曲を創ることをやめることが出来ません。
このように曲を書いていて、発表される本番の瞬間もいいのですが、実は本場までのプロセス(練習)の方が実は楽しかったりします。
ある日、静岡東部においては、もはや向かう者敵なしの某トランペット奏者がこの曲のレッスンをしていました。実に美しく私の意図を組んでくれるように演奏しているのが聞こえてきて、なんだかうれしく感動してしまいました。また、複雑なクラリネットアンサンブルの部分を、これまた東部の名アレンジャーなクラリネット奏者に丁寧にレッスンして下さり、美しい同族楽器特有のテクスチャーが聞こえた時には、興奮が収まりませんでした。
また、作曲家のエゴ丸出しのレッスンに耐えたこのバンドの打楽器奏者達にも脱帽です。複雑なリズムを複雑な拍節にどうにかこうにか入れて、結局はモノにしたティンパニ奏者。普段はボールを籠に入れているにもかかわらず、すばらしい「どソロ」を演じたヴァイブラフォン奏者。中学生のために書いたとは思えない楽譜を、はるかに中学生とは思えない演奏をして頂くことが出来ました。
本番の日、なぜだか自分たちの時だけ大雨で、その中「ずぶ濡れ」になりながら我が子のために「超大量」の打楽器を運んでくれ、大雨と一体になった親御さん達の「優しさ」と「愛」をこのとき感じることが出来ました。
はたまた拙作にもかかわらず、指導者としての手腕を発揮してもらい、去年より指揮が上達した顧問の先生にも曲に対する「愛」を頂くことが出来ました。
僕にとってはこれら全て(プロセス)が「音楽」そのものであり、その結果、自分の曲に愛着をもてることが何よりの幸せです。
やっぱり曲を創るのはやめられなさそうです。
「オンディーヌ」よりプロローグ、嵐の夜、水の国の掟、エピローグ~悲しみの鐘~(2004)